先日都内で過去最大の盛り上がりを見せたLGBTをテーマにしたイベント「東京レインボープライド」。日本でもようやく大々的に認知され、セクシャリマイノリティに対して、様々な人が語り合う場が増えてきたと思います。今、ここで改めてLGBTについてどのように向き合っていくと良いのかについてご紹介いたします。
LGBTってなんだっけ?
そもそも「LGBT」は聞いたことがあるけど、何かよくわからない…。という方もまだ多いですよね。改めてご紹介するとLGBTとは、女性同士を愛するレズビアン・男性同士を愛するゲイ・男性女性どちらも愛するバイセクシュアル・体は男(女)だけど、心は女(男)という性別と性自認が一致しないトランスジェンダーのそれぞれの頭文字をとった略語です。
これ以外にもXジェンダー、パンセクシャル、インターセックスなど、性に関する価値観の違いが大きく違うセクシャルマイノリティの方々がいます。いわゆる、心と体の性別が一致していて異性愛者であるストレートな方が多く存在する中で、何千人に一人、何万人に一人という少ない割合の方々がLGBTと言われ、“性に対してマイノリティな思考を持つ人”の総称として呼ばれることが多いです。
ただ、これはあくまで社会においてカミングアウトをしている人々の数からみた統計であって、本当はもっと多くの割合でLGBTの人が存在するとも言われています。なので最近ではセクシャルマイノリティという言い方そのものも差別的な意味合いになるのでは?と物議が醸し出されていますね。
LGBTに対するストレートな人の反応
日本社会においては、生まれながらに「男らしく、女らしく」という考え・教育の元で私たちは育ってきました。幼少期をすぎ、思春期に育つ頃になってセクシャリマイノリティの方々は「自分は他の人とは違うんだ」という経験をすることになります。このとき、いじめられたり、否定されないように必死に隠して生きていくことになるのですが、多くの若者は知識がないだけに自分たちとはかけ離れた考えを持つ人を排除しようとします。
特に私たちアラサー世代以上の年齢の人々は、学校教育でLGBTに対しての向き合い方について教育されたことなどもありません。そのため「セクシャルマイノリティの人々の考えが理解できない」「いやらしい、気持ち悪い」など未知な存在に対して、ネガティブな発言で相手を責めようとしてしまうのです。
実際、テレビの中に出ているオネエ系タレントに対して好意的に思っていても、身近にそういう人がいるとちょっと引いてしまう…。という人もまだまだ多く、とても残念なことです。しかし、ストレートな人々がそうした受け入れる態勢が出来ていないのは、相手のことをよく知らないからというのが一番の原因ではないでしょうか。
こんな発言で相手を苦しませているかも?
私自身は、ストレート(心も体も女性の異性愛者)ですが、LGBTに対しての考え方に関しては比較的、寛容だと自負しています。性に対してはストレートでしたが、社会を生きる上で普通の人とは違う価値観や考えを持っていたことで、家族や友人、先生から否定された経験を持つ私にとって、彼らマイノリティの存在は、別の意味で身近な存在に感じています。しかし、やはり私はストレートであるがゆえに彼らの苦しみや辛さを本当に知ることはできません。気づかない間に相手を傷つけた発言をしてしまっていたのです。それがこうした言葉の投げかけでした。
「彼氏、出来た?」
「〇〇ちゃん、あんまりスカート履かないよね。似合いそうなのに」
友人はセクシャルマイノリティであることを当時カミングアウトしていなかったので、普通に女の子の友達として気になったことを聞いていたのですが、後々になって些細な一言に自分を出せずに苦しんでいたことを知りました。こういう発言って、ストレートな私たちからしたら別になんてことはない会話の一つですよね。しかし、トランスジェンダー(心と体の性別が一致していない人)やXジェンダー(男性でも女性でもない性自認を持つ人)からしたら、「ほっといてほしい」「なぜ、女だからってスカートを履かなくてはいけないの?」という心の葛藤があるようです。もちろん、表面的には自然に受け答えをしているのですが、内心こういうことがある度に生きづらいなと感じているのかと思うととても申し訳ないです。
違いを識る努力が必要
私は、知らず知らずに相手を傷つける質問をしてしまったことを心から反省しました。知らなかったから仕方ないといえば、それまでですがそもそもで「知らない」というのは恥ずかしいことではないでしょうか。LGBTも知識としてどういうものか知っていても、本当の意味で相手を理解することは難しいです。性に対する考え方がまるで違うのですから。
だからこそ、それぞれの違いに対して識るために、当事者の話に耳を傾けたり勇気を持って議論をする努力が、これから必要になるのではないでしょうか。性に対してだけでなく、働き方や生き方の違いも同じことですよね。理想論ではありますが、それぞれの個性、違いを、認めて受け入れる社会になれるように、一人一人が自分なりの向き合い方を模索していくことが大切かもしれませんね。