♯帽子屋を始めよう!
愛人であるエティエンヌの財力に頼るだけの生き方では本当の意味で自由は得られない。そう考えた、シャネルは自らの力で生きるために「仕事」を欲しました。そこでシャネルが注目したのは帽子屋を開くこと。そう、実はシャネルの起業のスタートは帽子屋からだったのです。
何故、帽子屋なのか。
…と言われれば、彼女は「帽子製作の技術を持っていたから」と言うシンプルな理由につきますが、それだけではありません。20世紀初頭のフランスの社交界では帽子は必需品。現代のように今日の気分で帽子を被る・被らないを決めるものではなく、“ 帽子は絶対に被るもの ”という当たり前のルールのようなものがありました。
シャネルのドレスは社交界でも注目の的で人気はありましたが、そうは言ってもまだまだコルセット主流の時代でもあったので世間一般で簡単に受け入れられるテイストではなかったのかもしれません。その点、シャネルの帽子においてはシンプルながら、一点豪華な主張やエレガンスさがあってぜひ、私もその帽子が欲しい!と言われることも多かったので帽子屋を始めることにしたのではないでしょうか。シャネルは何をやるにしても、時代の流れ、世間のニーズを瞬時に察知し、それに伴う行動を起こすことに長けていたのでしょう。
♯初めてのお客様は…
帽子屋を始めるにあたっての最初の開業資金をどうしたのかというと、そこはもちろん愛人であるエティエンヌが支援しました。ところが、エティエンヌは最初に帽子屋を開きたいというシャネルの申し入れを大変困惑したそう。その心としては「愛人が仕事をするだなんて、僕が愛人を養う財力がまるでないみたいだ。」という思いで反対したのではないかと言われています。
長い話し合いの末、シャネルの強情さに負け、アパートの片隅をアトリエ兼お店として貸したエティエンヌ。早速シャネルは、エティエンヌのもう一人の愛人でありクルティザンヌ(高級娼婦)のエミリエンヌとその友人をアトリエに招待し、帽子を販売し始めました。
エミリエンヌはシャネルのことは愛人同士という立場でライバルでもありながらも、彼女のセンスを認めていました。そのため、シャネルが帽子店を開くと聞きつけるとすぐさまアトリエに足を運び、シャネルがデザインした帽子で社交界へ出向き、エミリエンヌはより注目を浴びるようになります。エミリエンヌというパトロンがさらなるお客さんを呼び込み、瞬く間にシャネルの帽子店は人気を呼ぶことになっていったのです。
♯女であることも1つのビジネス
例えるものでも、比べることでもありませんが、私自身、シャネルが愛人に資金援助を申し入れた話を知ったときは思わず、「まるで銀座のナンバーワンホステスが、新しいクラブを立ち上げるための資金援助をパトロンにお願いする」ような感覚を覚えました。これが私にとってはとても意外な事実。というのもシャネルは精神的にも強く、何もないところから誰の力も借りずに自分で財力を築いてきた…。と言うイメージがあったからです。
しかしシャネルの時代からすれば、女性が自分の仕事を持つということは、女である部分を利用してのし上がるしか道はなかったのでしょう。そしてその良し悪しは現代の感覚とはまた違うものなのかもしれません。
また、シャネルならきっと必要以上に愛人にすり寄って甘えたりすることなく、一人のビジネスマンとして対等なパートナー関係でエティエンヌに支援を申し出ていたのだろうとシャネルの強い信念を尊敬するからこそ、私はそう考えています。そんな彼女の芯の強さが、エティエンヌの答えを覆したのだとも確信しています。
♯自分を正しく見極める
私はシャネルの史実からビジネスを作る上で大切なことを2つ教わりました。それは「自分のスキルを活かすこと」と「人に求められることを正しく見極めること」です。誰しもが自分の好きなことでビジネスを始めたい!と思っていても、必ずしもそのセンスが伸びるわけではありません。
シャネルでいうならば、歌手を夢見て続けていてもきっと彼女の才能はここまで伸びなかったかもしれないということ。シャネルはそうでありたくても、世間はそれを求めていなかった。その代わりに、彼女に求められたのは新時代を担う女性の新しいファッションスタイルを提案することだったのです。また、彼女は生前こんな言葉を遺しています。
「扉に変わるかもしれないという、勝手な希望を抱いて壁を叩き続けてはいけないわ」
成功する上では自分の都合の良いように事が運ばないかなと勝手に未来に期待を抱くだけではダメ。自分で壁なのか扉なのかを正しく見極めていく知恵を身につけて。と彼女は私たちに自身の経験を通じて、必要なことを伝えてくれているのかもしれません。
あなた自身の才能を見出したいと思ったときは、ぜひ今回ご紹介した事を参考にご自身に当てはめて考えてみてくださいね。