運命の赤い糸は本当にある!? 月下老人が結ぶ「赤い糸の伝説」



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「月下老人」とは?

月下老人は、中国で宋の時代に書かれた『太平広記』という本の「定婚店」というお話に登場します。多くの髪とひげをたくわえた老年の男性の姿をしており、「運命の赤い糸」と、誰と誰が結婚するかが書かれている「婚姻簿」を持っています。 月下老人は私たちの目には見えない赤い糸が見え、人と人の縁を結ぶのだそうです。
さらに、既に縁として男女の間に結びついた赤い糸を視認するだけでなく、新たにそれを授ける事が出来るとされています。

月下老人のストーリー

中国唐の時代、韋固(いこ)という若い男がいた。彼は旅の途中、南の宿屋に宿泊した。ある晩、街をぶらぶらしていると、一人の老人が月光の下で一心に本を読んでいた。老人の脇には大きな布袋があり、中には赤い糸がいっぱい入っていた。

 韋固は興味津々で「そんなに夢中になって、何の本を読んでいるのですか?」と尋ねた。老人は「私はこの世の男女の縁組み帖を見ているのじゃ」と答えた。韋固はそれを聞いていっそう興味を持ち、「袋の中のこの赤い糸は何に使うのですか」と尋ねた。老人は微笑んで、「この赤い糸は、夫婦になるはずの男女の足首を結び合わせるために使うんじゃよ。その二人が仇同士であろうが、遠く離れていようが、或いは貧富の差がどんなに大きかろうが、この赤い糸で結び合わせただけで、二人の縁は生涯変わらず、夫婦となるのじゃ」と言った。

 韋固は老人が自分をからかっているのだと思ったが、老人に興味があり、米市場のほうへ向かう老人の後について行った。米市場に着くと、前から3歳位の女の子を抱いた、目の不自由な婦人が歩いてきた。老人は韋固に「この婦人が抱いている女の子があなたの将来のお嫁さんじゃ」と言った。韋固はそれを聞いて、老人が自分を侮辱しているのだと思い腹が立った。家へ帰って、下僕にその女の子を殺すよう命じた。そこで、下僕は女の子をナイフで一刺しして逃げた。韋固は市場に戻って先ほどの老人と話をつけようとしたが、老人の姿はもうそこにはなかった。

 光陰矢の如し。あっという間に14年の歳月が過ぎた。韋固は兵隊を率いて戦いに勝ち、手柄を立てたので、王泰(州の長官)の娘と結婚することを賜った。娘は王泰の掌上の玉で、とても綺麗だが、眉間に傷痕があった。韋固は不思議に思い、王泰に尋ねてみると、「14年前、子守があの子を抱いて米市場を通りかかった時、ある暴徒にわけもなく刺された。致命傷とならず傷だけですんだのは不幸中の幸いで、この子は命拾いした」と教えてくれた。

 韋固は、それを聞いてびっくりし、すぐさま14年前のことを思い出し、緊張しながら尋ねた。「その子守というのは目の不自由な婦人でしょうか?」王泰は、「その通りです。でも、どうして知っているのですか」と問い返した。
韋固はあの老人の予言がその通りになったのを知って驚き、悟った。
「あの老人の話は冗談などではなかったんだ。天意には背けない。男女の縁組みは本当に神が決めるものだったんだ」。そこで、娘と韋固の二人はこの縁をいっそう大事にして、幸せで相思相愛の生活を送った。

 やがて、この話が宋城まで伝わり、当地の人は月下老人を記念して、南の宿屋を「定婚店」(婚約宿)と名前を変え、赤い糸を結ぶ老人を「月下老人」と呼ぶようになった。そして、「赤い糸」と言えば婚姻のことを指すようになったのである。

月下老人にはどこで出会える?

男女の縁組を決めるとされる月下老人のお話、とてもロマンチックですね。

それでは、月下老人はどこにいるのでしょうか?
現在、月下老人は台湾全土の様々な場所に祭られています。

その中でも、「霞海城隍廟」に祭られている月下老人が最強と言われており、お寺の中には、全世界から寄せられたお礼のお菓子が山積みになっています。(年間に約7000組のカップルが、実際にお礼参りに来るそうです。)

 この「霞海城隍廟」は、台北の迪化街という乾物や漢方薬・布地の問屋街の中にあります。歴史が深く、観光にも適した街です。参拝方法は少し独特ではありますが、現地のガイドの方が参拝方法を詳しく教えてくださるので安心してお参りできます。
お参りの際に、縁を結んでほしい人がいる場合は、その方の名前を告げれば縁を結んでくれるのだとか。

そういった方がいない場合でも、月下老人にパートナーの理想を詳しく告げると、月下老人がお手伝いをしてくれるそうですよ。
皆様が、素敵なパートナーとのご縁に恵まれますように!