社名と肩書きで自己紹介を終わらせないで 大人ならではの世界の広げ方



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大人になったら出会いが減る、のは間違い

「大人になれば、出会いが減る」なんて言われているけれど、どうしてそうなってしまったのか。狭い教室の中で毎日を過ごしていた学生生活よりも、活動範囲が広がって、出会いの機会も多くなっているはずなのに…。大人が出会いが減ると感じるのはどうして? そんな疑問について考えていたら、こんな答えに辿りついた。

無条件に「友達」になれた学生時代

「学生」というカテゴリの中で出会う人たちには、とくに大きな差はなかった。差があるとしたら、頭が良いか悪いかくらいなもので、出会いこそあれば、みんな同等に友達という輪の中に入ることができたはずだ。顔を合わせた人数が友達に結びつく可能性も高く、気心の知れた仲間だって、「作ろう」なんて意識せずとも自然と出来た。

誰かのことを人に聞かれたときも、「ノリの良さ」だったり「雰囲気」だったりと、その人に視点をあてた紹介が、みんな上手だった。自分のことを聞かれたときも、もちろんそう。洋服の好みや本、映画などの趣味、その人自身の“らしさ”に魅力を感じていたはずだ。

「会社名」「役職」に囚われ、一度きりの関係が増えた社会人

けれど、社会に出るとどうだろう。自分を表す名前にプラスして、会社名や役職、また出身校などの情報が先行することがないだろうか。出会いの数は多いのに対して、食事やプライベートの時間を過ごすことなんてあまりないといった人との繋がりが増えているのだ。
「〇〇社の□□さん」なんて呼ばれることも当たり前になってしまい、まるで自分自身のプロフィールじゃなくて、仕事場の説明をしているような気になってしまったり。自分自身のことを話すことが苦手になってしまった人が多いのではないだろうか。顔を合わせた、挨拶をしたからといって、友達と呼べるような関係になることは、あまりない。これが「大人になると出会いがない」の正体なのだ。出会いの数ではなく、出会ってからの次のステップに進む可能性が少なくなった、ということ。

仕事が生活の中心になる。
これは、学生時代でいう学校と同じはずなのだけれど、社会人になったことによって、プライベートと仕事の境界線がうやむやになってしまったことで起こることのように思う。自分から、仕事の話を取り出したら、あなたは自分自身をどんな人間だと語るのだろう。自分の仕事に視野を当てすぎて、自分自身のことが、わからなくなっている。そんなのが大人なのだとしたら、とても残念だと感じないだろうか。

社外の活動に、自分を取り戻して

長時間仕事をしていることがまるですごく立派で偉いことのように感じている人こそ、「〇〇社の□□さん」が定着しやすい。働き方改革より何よりも、その感覚がすでに魅力的な大人からかけ離れてしまっていることに気づきたい。魅力は会社や仕事を土台として感じるものではなく、その人から生まれ発信されるものなんだと。

どんなものに惹かれて、どんなものに喜びを感じるのか。どんな大人になって、どんな生活を過ごしたいのか。仕事は手段ではあって、その人ではないのだ。“大人”という言葉の中に、不必要な制限をかけてしまっているのは私たち自身でもあるかもしれない。

自分のことをうまく話せるような大人になりたいし、もっと自分を開放したい。環境や繋がりは、自分から生まれるものなのだ。名刺を持たずに、自分自身を取り戻す時間を作って、世界をもっと広げていこう。