スクールカーストに疑問を抱いた10代
「明日から学校に来るな、お前なんて死ね」
夜、眠る前に同級生から来た一通のメール。受け取った瞬間は心にガラスが刺さった状態。
母には学校に行きたくないとお願いしましたが、様子をみて翌日だけは行ってみることに。
たった一日通っただけで、学校に行かない人生を選びました。誰も信用できなかったからです。14歳での出来事でした。
学校という組織の中には、いまだにスクールカーストが存在しているといいます。私が通っていた学校にも、初等部から通っているグループがクラスを率いていましたし、外部から入ってきた生徒は彼女たちのご機嫌を伺いながら過ごしていました。
問題はスクールカーストから抜け出し、再び新しい環境で過ごしていかなければいけなくなったとき、さらにどう乗り越えるかです。
今回は、不登校経験者が考えるコンプレックスから抜け出す方法をご紹介します。
スクールカーストの感覚を引きずった大人たちは、たくさんいる
スクールカーストは、大人になっても永遠に続きます。
なぜなら私に対し「死ねよ」と言い放った同級生たちも同じように大人になり、どこかで働いているからです。
スクールカーストが当たり前と思っている人が会社にいれば、学校と同じく会社という大きな組織の中でも同じようにカーストが生まれます。自分がトップに立ち、人気者だけを取り入れ、グループを大きくするでしょう。スクールカーストは学生時代が終われば終わるというわけではない、と私は考えています。
では、どうすればコンプレックスを乗り越えられるのか。それは、会社から離れた働き方をすればいい、と勝手ながら考えています。居場所がないなら、居場所を自分でつくればいいと。
そこで、私が選んだのは「フリーランス」でした。いわゆる新卒フリーランスとして、社会人経験をしないままキャリアをスタートさせたのです。
会社という組織に入り、カーストの中で生きていく道は考えられませんでした。実際に3か月だけ、とある職場で働いていましたが、小さな環境でもカースト(というより先輩とそりが合わない)があることを感じ、早々に会社員を諦めてしまったのです。
コンプレックスから抜け出したいなら、自分スタイルを確立させる
フリーランスという道を選んだことで、山口恵理香という名前と職業がほぼ一致した状態に。私が何を選び、どう生きるかで依頼していただく仕事内容も変わります。何を大切にしながら生きたいか。相手には何を重視してほしいかで、一緒に仕事をする人たちも変わります。
フリーランスを自由業と呼ぶときもありますが、自由ということは逆に言えば自分で色をださなければ、仕事として成り立たなくなってしまう難しさがあります。
たとえば、私の場合は「適応障害」という病を抱えていますが、フリーランスの道を選んだことで「感受性が敏感すぎる」というコンプレックスが長所になりました。
適応障害になった原因は数年前に経験した不登校。現在も「完治」ではなく「寛解(全治ではなく病気が治まっている状態をあらわす言葉)」を意識しながら、毎日を過ごしています。当時はメンタルが弱い自分のことを受け止めきれずにいました。豆腐という表現以上の崩れ方だったと思います。
今も決してメンタルが強いとは思っていませんが、フリーランスを選び続けてきたことで「バイタリティのある人」「個性のある人」と、コンプレックスだった心の病がいつしか個性となり、フリーランスとして激しい競争を生き抜くための武器となっていたのです。
コンプレックスを抜け出すためには、自分スタイルを確立させること。何が私らしいのかを毎日問い続けていれば、自分スタイルを確立できます。今すぐに完成するものでもありません。長い年月をかけ、苦しみながらも自分の道を生き抜くことで、コンプレックスでさえも「〇〇さんらしいですね」と評価してくれる人たちが増えていきます。
自分の道を切り拓き、自分の道を貫き通す覚悟。
スクールカーストが完全に消滅することは、おそらくないと考えています。
どの国にもどの世界にも「カースト」は存在します。しがらみのある世界で、どうすれば自分らしい生き方をできるのか。正解はそれぞれ違います。いずれにしても必要なのは自分の道を切り拓き、自分の道を貫き通す覚悟です。
たとえメンタルが豆腐以下だったとしても、自分の道を見つければ強くなれるのです。しかも、普通の人以上に。他者からの格付けに囚われず、自分という個性を尊重していくこと。何が自分らしいのか、その答えを見つけるのもあなた自身。