【連載】ココシャネルに学ぶ「時代をつくる女の生き方」♯11



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♯避暑地にサロンをオープンさせる

シャネルは富裕層の娯楽街とも言える避暑地、ドーヴィルに新しい顧客を求めてシャネルのファッションサロンをオープンさせました。パリにある店舗は帽子が主力商品に対して、ドーヴィルのお店は避暑地にふさわしいリゾートウェアを揃えるブティックでした。

シャネルは着る人に夢を与える服ではなく、着る人の現実的な問題を解決させるための服を誂えました。シャネル自体が、きらびやかで豪奢な服を好まず、恋人であるアーサーからもらったニットを自分用仕立てたり、動くことを前提として作られた男性服を好んでいました。そのため、シャネルが作る服も同じように女性服では珍しいポケット付きのジャケットや襟が開いたシャツ、締めつけの少ない服を販売していたのです。

それが避暑地という立地にうってつけだったシャネルの服は瞬く間に売れていきます。しかし、シャネルが店をオープンさせて間も無く、世の中は第一次世界大戦を迎えることに……。

♯戦時中に最も必要とされた服

いよいよ第一次世界大戦の深刻化してくるとシャネルのいたドーヴィルにはフランスの的であるドイツ軍がベルギーから国境を越えてやってきました。この影響から、数多くの店が危険を察知して早々に店を閉め出していきました。シャネルもまた、こんな状況ではお客さんもやってこない、しばらくは店を閉めようかと考えていたところ恋人のアーサーからこのような助言をされました。

「君の服は、これから求められる。今来ているドイツ軍がパリ市内へ侵攻すれば、パリの住民はドーヴィルにやってくる。その時には傷ついた市民を助けるための服がいるし、この郊外に移住している富裕層も豪奢な服で出歩くより機能性に優れた服を求めるだろう。」

二つとない独自性を極めたシャネルの服は、当時にしては珍しいというだけでなく、動きやすいといった利点から緊急事態にも耐えうる機能性を果たしていたのです。アーサーの言葉通り、パリ市民がドーヴィルへやってくるとシャネルの顧客である上流階級の婦人たちがボランティアにふさわしい機能的な服を求め、瞬く間に売れていったそうです。皮肉にも、第一次世界大戦という時代の流れに後押しをされるかのごとくシャネルはより一層の名声を手にしていくのです。

♯ピンチがチャンス

シャネルはこんな言葉も残しています。

「人は非常事態の中で才能を表すものだ。」

まさにシャネルにとって第一次世界大戦こそがこの非常事態であったことでしょう。たまたま求められた服を作っていたと言われればそれまでかもしれませんが、それも含めて確かに言えることは、シャネルはやはり時代の先を見る力に優れていたということ。自分の作る服がいつどのタイミングで、誰が求めているのかを見極める力と、必要だと思われたその瞬間にチャンスを逃さないことでシャネルは大きな繁栄をもたらすことができました。

シャネルはこうして、独自の個性である「簡素で動きやすく、それでいて洗練された服」というブランドスタイルを確立させ、周知させることに成功させていったのです。