15年間、心の病と向き合い続けているライターがおくる「心が弱いなりにも強く生きていく方法」



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心が人よりも弱くても、それはいつか個性になる

心が人よりも軟弱。どれだけ鍛えようと努力をしても、今すぐに劇的に変われるわけではない……。

話しは少しそれますが、筆者は14歳で不登校を経験しました。そして同時に「適応障害」と診断されました。あれから15年以上が過ぎようとしていますが、心が弱いことも、いつかはひとつの個性になると実感しています。

メンタルが弱いからこそ、気づけることが、この世界にはたくさんあります。窓から吹いてくる風が春ではなく初夏の空気を含んでいること。空に向かってまっすぐに咲いている道端のたんぽぽ。心が弱かったり、人よりもどこか繊細だったりしなければ、すべて気づけないことだと筆者は考えています。

今回は「心が弱いなりにも強く生きていく方法」をご紹介します。

「がんばれ」ではなく「無理しないでね」と言ってくれる人を大切にする

心が弱ってしまったとき、一番つらい言葉は、もしかしたら「がんばれ」「もうちょっと、がんばりなよ」という言葉かもしれません。

うつ病の患者に対して「がんばりなさい」と言うのは無責任と、どこかで聞いた覚えがありますが、まさにその通りで、病気まで達していなくても、悩んでいる人に対して「がんばれ」と声をかけるのは、少し無責任だと感じてきました。

心が弱いなりにも強く生きていくためには、なにより支えてくれる人をみつけなくてはいけません。人数を多くする必要はなく、深く理解してくれる人と出会う方が最優先。

良き理解者がいれば、つらい時期も乗り越えられます。できれば「がんばれ」ではなく「無理しないでね」と優しく声をかけてくれる人とのご縁をひとつひとつ大切にした方が、心強い応援団を形づくることができるでしょう。

連続的に体調不良が起きる自分を責めすぎない

適応障害も含め、ストレス過多になると精神的な症状だけにとどまらず、身体的な症状まであらわれるようになります。たとえば筆者の場合は、ある程度の段階まで達すると過呼吸になりやすいという特徴があります。

最初は「もう無理!」と思いながら泣いていたはずなのに、少しずつ呼吸が浅くなってしまうのです。おそらく医学的にみれば、適応障害だけではなくパニック障害も、いくつか症状とし出ているときがあるでしょう。

いつも突然、体調不良が起きるため完璧には防げません。人よりも体調管理を徹底していても心が悲鳴をあげれば、身体はすぐに緊急的なサインをだします。体調不良があらわれるたびに心の弱さ、あるいは体力のなさにがっかりしたくなりますが、そんな自分も自分なのです。責めたところで、すぐに心の筋力がつくわけではありません。

体調不良が起きてしまったら、的確に対処すること。「もっと強くならなきゃ」なんて思わずに、そのときに最大限の努力をしていれば、道は続いていきます。

心の弱さに甘えず、努力をし続ける

心が弱いとはいえ、それをまるで権利のように振りかざし「私はこうですから、好きなように仕事をさせてください」と主張するのは少し違う、と筆者は考えています。

心の病ではない人も、なにかを抱えながら真剣に働いている以上、持病があっても努力はし続けるのが大前提です。たとえば筆者の場合は、体調管理を人の何倍も気をつけています。

夏以外は(暑くない季節)基本的に外出時にはマスクをつけるとか。打ち合わせが立て続けに入っているときは外食をしないとか。心の病をひとつ抱えているからこそ、体調不良にならないように誰よりも努力をするのは仕事のうちだと考えています。

あくまでも、心が弱いことに甘えない。けれど、体調不良が起きてしまう自分を責めすぎない。やるべきことはきちんとやりつつ、どうしても苦しいときは周囲に助けを求める。

常に心と身体の健康については真剣に考え、対策をとっていく。そうやって、小さな努力を積み重ねているうちに、人よりも弱かった心にもムキっと筋肉がつくようになるのです。

「完治」を意識しすぎない

心の病というのは、もしかしたら病気というよりも「個性」と表現した方が、今の時代背景を考えると正しいのかもしれません。筆者は医者ではないため、医学的な見解ではありませんが、実際に生きてきた中でそう感じる瞬間が、たくさんあります。

不登校になってから15年。完治を目指しているわけではなく、あくまでも現状維持が長く続くように対策をとっています。

何事も完璧を目指しすぎるというのは、心の疲弊に繋がります。心が弱いなりにも強く生きていくなら、今の自分をいじめずに、むしろそんなことを思う時間があるなら、目の前のやるべきことをひとつでも多く進めてまいりましょう!