私たちの肩にズシンとのしかかる、不安とプレッシャー



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年を重ねることは悲劇じゃない。足跡をつけるのと同じように私たちはひとつひとつ、自分の道を選び、時には早足で、時にはゆっくりと前を向き歩き続ける。だけど、時々「進みたくない」と思う時がある。肩の上にズシンと重りがのしかかるように、その足を止めようとするのだ。私たちの肩にのし掛かる、その重りの正体は一体なんなのだろう。

仕事と結婚へのプレッシャー

20代半ばをすぎると、急に増える会話がある。それは仕事の話と結婚についての話だ。今までは、ようやく慣れてきたお酒を飲みながら、時には飲まれつつもそれなりにバカなことを楽しくやって過ごしてきた。後輩がどんどん増えていく中でも、私たちは変わらない。そんな当たり前を信じていた女子同士での会話が急に大人へと変わる瞬間がある。

「ねぇねぇ、最近仕事はどう?」

職種も何もかもが違う私たちには、仕事の話を聞いたところで理解ができるような共通点があるわけではない。こんなことがあってさ・・・というのはいつも悩みを抱えている誰か。それに共感するように、「私もこんなことがあって」と話を重ねてその場は盛り上がる。

「最近付き合ってる彼氏はどうなの?」
「結婚するの?」

まるで仕事の話が前置きだったかのように、自然な流れで恋愛の話に以降する私たちの会話。付き合っている彼氏の話題が出たあとは大抵、結婚の話が飛び出すのだ。

私たちは知らないうちに、仕事へのプレッシャーと同じく、結婚への焦りを感じている。そしてその不安や焦り、プレッシャーを誤魔化したいと安心感を求めて、似た友人にその話題を持ちかけるのだ。結婚願望が一切ない、と思っていた私でさえそう。既婚者が周りに増え、孤立していく独身女性の姿はまるで、群れを作る鳥のよう。いつのまにか、付き合っている彼との未来を考えるより、結婚はいつするだろう、という時期について悩み始める。

結婚・出産・育児へのプレッシャー

結婚をしたら、幸せな新婚生活が待っている。なんて思っていたけれど、人間は慣れに早い生き物だ。気づけば、旦那さんが帰ってくることが当たり前になって、一緒に寝ることへの幸福感を噛みしめるより先に、日々の疲れや体力の消耗に目が行ってしまう。

もちろん結婚生活は平凡と感じられるほどに幸せなものだし、それを実感もしている。結婚をしたことによって、”2人の将来”が”家族の将来”になった。家族というのは、もちろん旦那の両親も含めてのことだ。

彼の両親は、孫の顔を見られることを今か今かと待ち望んでいる。
私が絶対に嫌だった、両親との同居はなんとか免れたけれど、そのプレッシャーはあらゆる場面で感じ取ってしまうものだ。

『自分自身が大人になりきれていないのに、子どもなんて・・・。』

そんな不安を誰かに言えるほどの年齢でもない。子どもができたら自然と親の顔になるものなんだ、と周囲は口を揃えて言ってくる。結婚への焦りがなくなったら次は子どもを急げって? 私だって、自然に授かりたい、自然に親になりたい。結婚に次いで、妊娠・育児への不安がやってくる。

介護・老後への不安

不安を乗り越えながらも、人生はやはり進んで行くもので、あんなに不安だった育児も毎日をこなすことに必死になっているうちに、子どもは成長を進めてきた。
自分が不安だった子育ても、なんとかなっているような気がしている。子どもは一番の宝だと思うし、何より自分の子が世界で一番可愛い。親としての自分の点数なんてわからないけれど、愛情だけはたっぷりと注いできた。

子育てに対しての不安が少しずつ緩和してきたころに、次は私たちの両親を心配する気持ちが強くなってきた。強気だった母の笑顔はいつの間にかとっても優しいものになり、足取りはのんびりとしている。ふっくらとした体も、今ではなんだかとても小さく見えるのだ。今後の介護はどうするのが正解なのだろう、私の力で面倒を見きれるのだろうか。介護の知識なんてない、また不安が襲ってくる。

親の老後を考えると同時に、次は自分たちの将来にも霧のようなモヤがかかる。自慢の子どもが、大人になった時、私はどうなるのだろう。しわしわになって、目も見えなくて、体も重くて、その時もしひとりぼっちだったら?

言葉にできないようなグレーな気持ちがずっとつきまとう。そんなもの、どれだけ考えたって結論なんて出ないのに。

無意識にずっとあるモノ

悩みごとはなんですか? と聞かれた時に、具体的な悩みはなにかわからない、という時がある。そんな時は、無意識にずっとある不安に目を凝らしてみるといい。私たち女性は常に不安と隣り合わせのところにいるのだ。家庭を持つといったライフイベントをわかりやすく文字に起こしてはみたけれど、それ以外にも金銭面や、人間関係など、悩みとなる要因はたくさんある。

知識だけがどんどんと増え、頭でっかちになってしまうのも大人の特徴ではないだろうか。当たり前と感じる日常の先にある、まだ見えない未来に関しては、どんどんと臆病になっていく。経験してみないとわからない、それを理解はしつつも、経験する前から怖がってしまっているのだ。

大人になるに連れ、のしかかってくる重りの正体は、臆病さなのである。

リスク回避を恐れ、私たちは慎重になる。

だけど、いつもその場に遭遇してしまうと、結局なんだかんだ乗り越えることしかできないのが自分だ。もちろん逃げたくなることもある、だけどいつも私たちはそんな悩みや問題を、過去も乗り越えてきた。忘れたことさえ、忘れてしまうほどに。臆病なるななんて無理だ。だけどこれって悪いことじゃない。大人になると感情の幅は増え、経験値も上がり、記憶は蓄積される。

それってとても、素敵なこと。

日々、あなたは作り上げられていく。積もってきた要素があるからこそ、日々の何気ないことが嬉しく感じることもあるのだ。私たちにとって、幸せの形はそれぞれ違う。様々が作り出すのがあなたなのだから、臆病に感じる不安すらも必要なんだ、味わいながら飲み込んでいこう。

変化を求める私たちに、安心感しかない未来なんて、きっとつまらないから。