遅刻の連絡をして「ありがとう」と言われた私
休日の午後、友達との待ち合わせに向かうのに私は走っていた。というのも、電車が遅延してしまって、到着時間が見えないかもしれない… と焦っていたから。
幸いにも、駅に着くと少しの遅延はありながらも電車はちゃんと動いていたし、元々私は待ち合わせの5〜10分前には余裕を持って到着する、という性質の元に動いていたから、結果5分の遅刻で済む、ということがわかった。約束の1時間前には、その到着時間が予測できたので「ごめんなさい、遅延で5分くらい遅れそう…」と相手にLINEで連絡をすると、友人からは驚くべき返事が返ってきた。
「5分の遅刻くらい全然大丈夫だよ!というか1時間も前に5分の遅刻連絡をもらえることなんてないから、ちょっと感動した…」
「えっ?遅刻がわかった時点で、乗り換え検索するだろうし、それを連絡するのなんて当たり前じゃないの?」
私の中で”当たり前”だと思った行動に、彼女は「感動した」と言った。
そんな彼女は普段、就職活動を行う学生たちための就活コンサルティングを仕事としている。対面で学生と会話をするそうなのだけど、まだ社会に出たことのない学生相手だと、直前のドタキャン・遅刻がもはや当たり前なんだよと、彼女は苦笑いをしながら私に話した。
それが日常になってしまっているから、5分の遅刻を1時間前に連絡が来るなんて感動モノだ、と。
正直、5分くらいの遅刻は「問題ない」「許容範囲だ」と認識している人は、学生に限らず社会人でも多いのではないか、と思う(沖縄県民のウチナータイムや、地域における感覚の違いはおいておいて)。
とはいえ通常ビジネスの世界では、5分でも遅刻は遅刻だと見なされる。もちろん、学校も。なのに、今では友達との待ち合わせに遅れることが“当たり前”に近い感覚を身につけてしまった人は多いんじゃないだろうか。
私も、待ち合わせのたびに毎回約束に遅れて来る友達を、2~30分待つのが当たり前になっていたことがある。いつもカフェでぼーっと時間を潰すのだ。それがあまりにも毎回のことだから、そういう人なんだろうと不思議にも思わなかったけれど、それを苦手だと思う人は少なからず居るはずだ(ちなみに、よく遅刻してくる彼氏に対しては注意した経験がある)。
人によって待つ時間への耐性が違うとは思うものだけれど、彼女のように直前の遅刻連絡やドタキャンが当たり前、なんてことが仕事になってしまっては、なかなか大変に思う。時間感覚というのは、人によってそれぞれ違うものではあるということを、理解もしているけれど。
ここで、Cinq編集部にて、友達との待ち合わせに自分が遅れる場合と友達が遅れてくる場合の、許容時間をそれぞれにアンケートにとってみた。その結果が少し面白い。
友達との待ち合わせに遅刻。どれくらいなら許される、って思う?
まず質問したのは、自分が待ち合わせ場所に遅れていく場合のこと。電車が遅れていたり、急な予定が入ってしまったりすることは誰にだってある。
半数近くが「10分」と回答!
自分が遅刻する場合に、相手に「許してもらえるだろう」と感じる時間は「10分」が半数以上という回答に。みんな自分の時間管理にはしっかりとした感覚を持っているようだ。
友達が待ち合わせに遅刻してくることがわかった!どれくらいなら、うーん…ってならない?
次は逆に、友達が遅れてくる場合についてを聞いてみた。
「待つ」のは苦じゃないと答える人が40%に
この結果には少し驚いた。自分が遅刻をする分には、10分ほどで「マズい!」というような感覚があるのに対して、友達が遅れてくる分には、特に問題がないと答える人が多いのだ。
「全然待てる! むしろ着いたら連絡して欲しい」と答えた人に、その理由を聞いてみたところ、こんな答えが返ってきた。
毎回遅刻をしてくる友達には、そんな印象が根付いているから、今さら何とも思わない(26歳/OL)
自分も今後、多少遅れてもいいのかなーって余裕もっちゃう。(26歳/フリーランス)
毎回はイラっとするかもしれないけど、ハプニングとかもあるし1回だけなら気にならない(31歳/OL)
遅刻は「する」より「される」の方が気が楽
自分が遅刻をすることに対して焦りを感じる人は多くても、相手の遅刻に対しては意外と寛大な心の持ち主が多いということがわかったこのアンケート調査。
この感覚は私と同じだという人が多いとわかった反面、「逆に毎回遅刻をしてくる人たちは、一体何なのだろう」という疑問さえ湧いてくる。遅刻をすることに対して、慣れを感じている人は、ある種の甘え癖がついている…言い方を変えればいわゆる「愛されキャラ」なのかもしれない。
けどこの結果が私にとっては、とても意外に感じたように、自分の中にある当たり前は、他人にとっては全くもって当たり前ではないかもしれないという事実を、私たちはもっと知るべきではないだろうか。
「ごめん、ちょっと遅れる…!」が当たり前になっている人は、(許してはもらえているけれど)それと同時に何か大切なものを失っているかもしれない。